文化の違いによりビジネスを論じることの不毛さ

ソフトブレーンの宋会長のメールマガジンからの引用。国(中国と日本)の文化の違いによりビジネスを論じることの不毛さについて書かれている。

これはこのままアメリカと日本にも当てはまるなあと納得。
アメリカにすっかりそまった日本人や日本のやり方そのままの日本人をみて違和感を感じるのにも通じるかもしれない。

また「思いこみ」の解除はすごい難しい。思い込みがそのまま会社や組織の「パラダイム」につながっていることも多く、それを解除するのはとても大変だ。自分の文化、組織の枠と出るということはそれを比較的容易にするのだろう。

宋会長はなぜ日本にわざわざ商売するのか?素朴な疑問だ、いつかお会いして聞いてみたい。

メールマガジンのバックナンバーはこちら。
http://www.softbrain.co.jp/mail/back_number.html

最新号なので該当部分をそのまま引用させていただきました。
ソフトブレーンメールマガジン『効率化の最後の聖域へ』第16号より


「文化論の不毛」

1985年に日本に来た時、日本はカラオケ最盛期だった。マイクを握って自分の歌声に陶酔しているサラリーマンの姿をみて「歌手でもないのに恥ずかしくないか」と思った。周りの日本人に「中国にカラオケを持っていったら流行
るのでは」と聞かれたが、「中国では絶対流行らない」と思った。

5年後、久しぶりの帰省で田舎を訪ねてみると、農民達が安いカラオケセットを使って庭で熱唱する姿をみた。この時、文化の違いでビジネスを推測することを絶対にしないと心に誓った。しかし、最近、ローソンのおにぎりが上海で
売れていることを聞いて、やっぱり不思議に思った。

異国のマーケティングの際、あまり文化を意識しないほうが、かえってチャンスを捉えることができる。なぜならば、私の体験からも分かるように、文化というものはかなり思い込みによる部分があるからである。理解する人ほど、内
部に居る人ほど、その思い込みが激しいからである。

あぐらは日本的な座り方だと思う日本人が多いだろう。実はあぐらは「胡座」と書き、「胡人の座り方」を意味する。「胡人」の胡は「胡椒(こしょう)」、「胡瓜(きゅうり)」の胡と同じく、西域の国を指す。古代中国人が、絨毯の
上であぐらをかく西域の人の姿をみて、胡座と表現したのだと思う。

また、「日本は恥の文化」とよく聞かされるが、「夜這い」の風習を知った時、びっくりしたと同時に、昔の日本は開放的で羨ましいと思った。

恥の概念は、道徳基準によって変わるものである。「不貞」や「不倫」を恥じるようになったのは、きっと途中から道徳基準が変わったからだろう。

文化というと高尚に聞こえるが、かなりいい加減なところがある。ビジネスにおいては、「日本的」とか「中国的」とか「欧米的」ということは、かなり不毛な議論である。

ソビエト崩壊後、欧と米はかなり違ってきたし、中国やロシアでは、それまで全くなかったパターンが現れた。文化は相対的に安定するが、ビジネスは条件と環境によって激しく変化する。

よく考えてみると「営業は根性だ」、「営業は足で稼ぐ」といった営業文化を信じず、「科学的営業」「仕組みの営業」を提唱したのは、私の今のビジネスパターンである。日本の営業文化の外に居たからこそ、気付いたビジネスチャンスであった。

相手のことを真剣に考えるには、相手の習慣に従わない時も必要であろう。一時的に嫌われるかもしれないが、本音で相手を思う自信があれば、しばらくは我慢できるはず。

顧客のためなら「中国では・・・」の発想をしないことを自分に誓い、「日本では・・・」にも染まらないように自戒する、今日この頃である。