お金の本質

板倉雄一郎事務所: KISS第31号「お金とは・・・One for All , All for One」

人間は、社会からの恩恵によって生きています。
だから、人間一人ひとりが、社会に対して価値提供をすることが、人間たる所以です。
人間は、社会に対する価値提供を行う義務を負っているのです。
よって、自分の価値を高める努力は、社会に対する価値提供を行ううえでの、最も合理的な手段です。
自分の価値を高めるためには、
学び、
考え、
リスクをとって経験し、
自分の成果を振り返り、
また、そこから学び
・・・
の繰り返しなのです。
しかし、
いくら学んだところで、
いくら考えたところで、
いくら行動したところで、
その目的が、「社会貢献」でなかったら、一体何の意味があるんでしょうか

板倉氏のブログから。
説得力がありすぎてこわい。

「人間が、社会に対する価値提供を行う義務」持つことは賛成。義務かどうか別にしてそれをすることで「社会的に生物」である人間ははじめて人間たるのかもしれない。

もし、その目的が、「社会貢献」でなかったら、
社会に対する「マイナス価値」でしかありません。

この当たり前のことがわからない人って、馬鹿です。
この当たり前のことがわかっていながら、一時的な自己実現と、一時的な金のために、せっせと動いている人って、本質的に犯罪者です。

社会に価値提供した結果として始めて、
社会から「金」という「ご褒美」をいただけるのです。

そして「金」の価値とは・・・

「社会に対する議決権」なのです。

だから、
社会に対する価値提供の見返りとして、
社会から頂いたご褒美を、
タンス預金としたり、博打に使ったりするのではなく、
自分の信じる商品に対する消費や、
自分が育って欲しいと思う企業への投資に回さなければ、
社会に対する裏切りなのです。

その議決権を、自己のために乱暴に使ってしまえば、
社会も、その乱暴な個人も、損失をこうむるのです。
議決権を、いつまでも持っていたくて、今よりも多くの議決権を欲しい者がするべきことは、社会に対する価値提供を、継続すると言うことなのです。

「お金を無駄使いするな!」という、昔の人の言葉には、
以上のような意味が内在しているのです。
お金が生きないところに、お金を置くことが、
お金の無駄使いなのです。

「お金を無駄使いするな!」は板倉氏にとって上記のような意味を持つ。成金が名士になっていく過程の意識の変化のようだ。

お金を「社会に対する議決権」と考えられるようになるには、資本主義への本当の理解とある程度のお金が自分に必要になると思う。

ルールはみんなが理解して初めてルールだと思う。その点、板倉氏、堀江氏のやっていることは評価されるべきだろう。

大抵の人は搾取されるだけで終わっていることすら、気がつかないのだろう。